【書評】くまのプーさんと呼ばれるウィニー・ザ・プーの魅力

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とあるクリスマス・イヴの日に

ウィニー・ザ・プーがこの世に誕生したのは、今からずっと前のクリスマス・イヴのことです。とあるイギリスの新聞のクリスマス特集号に作家のA・A・ミルンAlan Alexander Milne)の手によって短編小説としてデビューし、時を超えて今でも多くの人々に愛され続けています。

 

日本でもいくつかのプーの本が出版されていますが、今回私が手に取ったのは阿川佐和子さん訳のタイトル「ウィニー・ザ・プー」です。この本は10章の短編集から成り立っています。いちばん始めの第1章が「ウィニー・ザ・プーとミツバチが登場。さて、お話は始まります。」となっており、これこそがあのクリスマス・イブの日にプーがこの世に初めてお披露目された物語です。

 

ウィニー・ザ・プー (新潮文庫)

ウィニー・ザ・プー (新潮文庫)

 

 

この本の中身をちょこっと紹介しつつ、プーさんの魅力について少しだけ語ります。今回の文章を読み終えたとき、プーのことが今よりもほんの少しだけ気になる存在となっていることかと思います。

 

 

キャラクターたちのモデル

作者のミルンには妻と一人の息子がいます。ミルンは家族とともにロンドンの自宅とイースト・サセックス州ハートフィールドの別荘を行ったり来たりして暮らしていました。その別荘の近くに広がるアッシュダウンの森がプーの物語の舞台となっているようです。

そしてもうお分かりでしょう、一人息子がクリストファー・ロビンです。実の息子を実名で物語に登場させたということになります。そしてそのクリストファー・ロビンの一歳の誕生日に、母のダフネが百貨店で買ってきたくまのぬいぐるみがプーのモデルとなっています。

 

プー以外にもコプタン(ピグレット)やルー、イーヨーなどのモデルとなるぬいぐるみたちがいます。うさぎ(ラビット)とフクロン(オウル)だけは実在のぬいぐるみはなく作者が創造する世界のなかで誕生したものだといいます。

 

プーやコプタンのモデルとなった実在のぬいぐるみたちは、アメリカ各地のイベントや学校に登場したり、イギリスを訪問したりしながら現在はニューヨークの私立図書館のガラスケースに展示されているそうです。ルーだけは途中行方不明になったみたいですが・・・。(これを読んだとき、ニューヨークに行きたい理由がまた1つ増えてしまったと思った。)

 

 

プー独自の思考と世界観

プーの考えはとても単純で素直です。でもきちんと理由付けして考えます。これはこうだから、こうなる。だから自分はこうしよう。

例えば最初のハチミツを取りに行く話の中にプーのこんなひとりごとがあります。

 

「なぜ世の中にミツバチが存在するかといえば、つまりそれは、ハチミツをこしらえてるために決まってる」

プーは立ち上がり、

「そいでもってなぜ、ミツバチがハチミツを作るかといえばだ。その理由はつまり、僕が食べるためなんだ。そうとしか考えられないよ」

 

このときのプーの考えはおそらく「ハチミツが食べたい」です。

自分の直接的な思いを言葉にしているわけではありません。しかしこのクマさんはこんなにもハチミツを求めている、とこちらに考えさせてしまうのはすごいことだと思います。プーは頭をフル回転させて考え言葉を選んでいるのです。そして次の一手を選択する理由を第三者目線で考えます。そして必ずプーは行動にうつします。

 

ここが物語にはまるポイントのひとつかなと思っています。

プーだけではなくこの世界の住人たちはみな哲学的です。思考の切り口はややこしいのですが、難しいことは1つも言っていないので誰が読んでもすぐに理解できます。思いがより素直な形でストレートに入ってきます。そこは卑しさとは全くの無縁な世界です。

 

この他にもプーが自分自身に問いかける場面がたくさんあります。


例えばこんな感じです。

 

「それはちょうど僕は自分に問いかけてたとこ。僕は何を追跡しているんだ?」(プー)

とあるものをコプタンとともに追跡しているときに、言った一言です。しかも言い出しっぺはプーの方です。もはや物語の趣旨から外れかねない言葉ですが、読んでいる私たちは「忘れたんかい、このクマさんは(笑)」と心でつぶやきながらもプーってかわいいなあと思ってしまうのです。

 

 

プーのアイデンティティと仲間への愛情

こんな一言もあります。

「頭のいい人も、そんなに頭のよくない人もいる、世の中はそんなもんさ。」(プー)

これは物語の前の”はじめに”にあたる部分で出てくる言葉です。世の中を語るプーに少し違和感もありますが、プーはぜんぜん気にしないのです、そんなこと。細かいことを気にしないというのは物語の中の最大の癒しであると思います。

もっと大事なことが他にあるでしょう?とプーが教えてくれてるような気がしてなりません。

 

プーの物語を通して、忘れていた大事な”かけら”を拾い集めるような作業ができます。作業というのはもちろん比喩的な意味合いですが、それはとてもゆっくり自分自身と向き合える丁寧な時間であることだけは確かです。

 

 

 

目先のものはもちろん大事ですが、一番は自分を大事にしなくてはいけません。

自分を大事に出来て、初めて仲間にも愛情を注ぐことができているのだとプーをみていると感じます。

 

 

 

またイーヨーが誕生日を一人寂しく迎えている際の、プーの気持ちを語った言葉が次です。

「プーは何か救いになるようなことを言わなければいけないと思ったものの、気の利いた言葉が何も思い浮かびませんでした。そこで、何か言うかわりに、救いになることをしようと心に決めました。」(語り手)

誰かのために何かをしてあげたい、という気持ちが自然と浮かぶのは愛情じゃないかと思うのです。このあとプーは仲間を巻き込んで行動に出ます。実はこの話、個人的には少しうるっときてしまう話でした。あまり詳しい内容はここで話すのはアレなので気になる方は読んでみてください・・・。

 

 

会話中心の物語と目に浮かぶ描写

プーの物語は会話中心で進んでいきます。会話の中には登場人物たちが冗談を言い合ってやり取りそのものを楽しんでいる様子もあります。そこが何とも彼ら彼女らへの愛おしさが増してくるところでもあるのです。また、駄洒落もちらほら出てきます。ですので訳をされる方によってどのように言い回しが変わるのだろう、と読み比べしてみたくなります。

 

会話の他に森の生活を浮かばせる、ほのぼのとした描写も多くあります。その中でも私が一番気に入っているのがクリストファー・ロビンが長靴を履くのをプーが手伝うという場面です。

 

「ハロー、くまのプー。長靴がはけないんだ。」

「それはそれは」

「よかったら僕の背中に寄りかかってくれるとありがたいんだけど。そしたら僕、長靴をひっぱり上げるとき、後ろへひっくり返らずにすむでしょ」

プーは座り込みました。両足を地面にめりこませ、クリストファー・ロビンの背中に力いっぱいに寄りかかりながら。いっぽうクリストファー・ロビンはプーの背中に力いっぱい寄りかかりながら、長靴を引っ張って引っ張って引っ張ったら、ようやく足に入りました。

 

これを読んでいるときに、踏ん張るプーとクリストファー・ロビンが目の前にいるような感覚になりました。それくらいリアルに想像でき、自然とプーの世界に入り込めるようになっているのです。

 

 

 

世界一有名なクマのこと

プーはきっと世界一有名なクマですがまだまだ知らない一面の多さに驚きました。一言では語りつくせない魅力がきっと多くあるのだろうと思います。途中には哲学的という言葉も出しましたが、近所の本屋の隅っこでこんな本を見つけたので「読みたいリスト」の仲間入りをしておきました。

新装版 クマのプーさんの哲学

新装版 クマのプーさんの哲学

 

 

本屋で見つけたのは新装版でしたがこちらもあるみたいです。

 

クマのプーさんの哲学

クマのプーさんの哲学

 

 

 

また作者のA・A・ミルンの伝記や息子のC・R・ミルンの自伝など日本語で読めるものも多数あるみたいですのでそちらも気になっています。

クリストファー・ロビンはその後、第二次世界大戦の際に陸軍工兵隊に入隊、終戦後は復学し一時期は作家を目指す。しかし上手くいかずに本屋を営むなどをするが再び著者の道へと踏み出しいくつか本を書き上げている。これだけでも十分に気になる内容であることに違いないと思います。)

 

 また今回の表紙を手掛けている「100%ORANGE」さん。

この方のイラストがとても好きなのでそれはそれで別の機会に魅力について語りたいと思います。

 

 プーの本はいくつかありますが、まず初めにプーのことを知りたいという方はこの本を手に取ってみてはいかがでしょうか。プーの世界はいつでも私たちを迎え入れてくれるはずです。 

 

 

ウィニー・ザ・プー (新潮文庫)

ウィニー・ザ・プー (新潮文庫)